【小説】美しい名前

あぁ 時計の針を戻す魔法があれば

あぁ この無力な両手を切り落とすのに

 

 

気付くとボクは、青白い顔で白いベッドに横たわっている「僕」を見つめていた。

痩けた顔には大きく見える呼吸器を付け、左腕には点滴を繋がれ、指先には心拍数を測る機器が取り付けられていた。

 

「僕」は、とても真面目に生きてきた。

目の前のことに、言われるがまま素直に取り組んできた。上手に出来れば褒めてもらえた。

常識から逸脱したことはほとんどしなかった。少し「あんなことをやってみたいな」と思っても、すぐに諦めた。いや、「諦めた」という言葉を使う程、本気で考えてもいない。「普通」と少しでも違う行いは、上手くいく見込みが極端に低いと思っていたし、周囲の人から反対されたり軽蔑されたりするのが目に見えているから。

「僕」の人生は、本当に非の打ち所がないと言っても過言ではないものだった。しかしいつからか、多くの人にとっての「普通」が、誰もが認めてくれるこの生き方が、「僕」を苦しめるようになった。

ボクは、苦しむ「僕」を慰め、諭し、励ました。初めはそれで一時的に落ち着きを取り戻してくれていたが、だんだん抵抗や反論をするようになった。それでもボクは彼が道を踏み外さないように一生懸命説得した。

そんな日々が続き、ある日「僕」は倒れた。

ボクはその時初めて、ボクの行為が「僕」を追い詰めてしまっていたことに気付いた。彼のためを思ってしていたことが、彼をさらに苦しめていたのだ。

 

ボクは「僕」の名前を呼んだ。その瞬間、それはボクの中で弾け、眩く輝いた。

「僕」はこの世で一人しかいない。唯一無二の存在なのだから、唯一無二のストーリーを紡ごうとすることに何の罪があるのか。

 

泣きたいのに涙が出ない。彼に謝りたかった。この世界はボクらのためにあると伝えたかった。

 

もう一度名前を呼んでみた。しかし今度のそれは、こだましながら奈落の底に落ちていくようだった。あまりの闇深さに背筋が凍った。意識の片隅で、さっきまで一定のリズムで鳴っていた機械音が鳴り止まなくなっているのが聞こえた。

 

 

 

 

THE BACK HORN 「美しい名前」より